使い捨て人財の徒然日記

社会に使い捨てられた底辺による底辺のための日記

昔好きだったこと

昔々、小学生時代のころ、人見知りだったぼくには友達が少なくて

いつも漫画を読んでたり、本を読んでたりしていた。

好きなのはファンタジーや冒険ものだった。

 

荒れ狂う大波や火を噴くドラゴン、果てしもない悪と戦う姿に興奮して、夜も眠れなくなった。

家の中ではあまり楽しいと感じることはなくて、いっつも漫画や本の続きを妄想していた。(家庭の事情で僕は、親が仕事から帰ってくる時間までしかそういったことを楽しめなかった)

そんな小学生1~2年生の時一番、やっていた家の中での遊びが妄想だった。

 

目をぎゅっと閉じて、枕に思いっきり顔をうずめる。

そうすると真っ暗にみえて、目が慣れると不思議な光が見えてくる。それは満天の星空のようであり、満開の花火のような光だった。一つ一つが確かな輝きをもっていて

そこに僕全体がゆっくりと近づいていく。

ゆっくりゆっくり近づいていくんだけれど、星たちに近くなればなるほど、近づいていくスピードは速くなって、ワープするように星たちが流れ出す。

そうするとまた暗闇になって、奥のほうから星たちがまた近づいてくる。

そのたびに星たちは色が変わっていたりスピードが違っていたりして、僕はその違いを楽しんだ。

できるだけきれいな星を探して、できるだけ時間を止めて、眺め続けた。

たまにもやもやする気持ち悪いゾーンに入ってしまった。そこでは平衡感覚がなくて、ゆっくりと昇華されていくような灰色の世界だった。

 

10分くらいしかたっていないと思っていた時間が気づいたら、2時間くらいたっていることがあって、驚かされた。

 

星たちと一緒に僕も時間を飛び越えたんじゃないかと思ってワクワクした。

子供の時に読んだたくさんの漫画、本たち。。。。

 

今読んでもそこまでどきどきはしないけれど、でもあの感情を忘れはしない。

 

年を重ね気づいたら、目をつぶっても瞼の裏の星たちは見えなくなってしまった。

あれはなんだったんだろうか。

子供だけが見えるものなのだろうか。幻想ではない。

じゃあなんだろう。幻想だろうか、それとも夢か。

 

大人になって働いて、やれることは増えて自由になったけれど、それと同時に自由に垣根をつくった。自由の外側に不自由をつくった。

僕が今いる場所は、自らが作った自由な場所で、針をめぐらした牧場のようだ。傷つかぬよう、生きていけるよう必死に周りと区別をつける。生きていく範囲を決める。

でもふと、遠い場所に子供の僕を見る。

子供の僕がいた場所はきっと、垣根の外で、毎日不便に生きていく世界だった。

でもそこはなんの境界もない、宇宙すらも超越できると感じさせる世界だ。

 

子供の僕にとって宇宙は手のひらサイズだった。

今の僕にとってはどうなんだろう。

信号を渡った先の公園ですら、手に余る。そんな感じさえする。