使い捨て人財の徒然日記

社会に使い捨てられた底辺による底辺のための日記

【悲報】四半期決算書を見て、冬の厳しさを感じ取った

四半期制度を導入している企業の多くは

この時期に決算報告書が出てくるはずです。

 

社会人になったら「会計、英語、プログラム」はやっておきなさい

 

なんて言うやつもいるが、実際舐めていました。

別にそんなのはできなくてもよいと。

俺には関係ないと。まさに底辺的発想でした。

 

ただふと機会があって、面白い本をみつけたので

併せて、決算書を少しだけ読んでみたというお話です。

 

 

ざっくり分かるファイナンス?経営センスを磨くための財務? (光文社新書)

ざっくり分かるファイナンス?経営センスを磨くための財務? (光文社新書)

 

 

ざっくりわかる、とはなんともいい響きですね。

底辺でもできそうと希望を持たせてくれるタイトルです。

 

最初はいわゆる財務三表(バランスシート、損益計算書、CF計算書)についてでした。

というかそもそも財務三表とは

  1. バランスシート:企業の調達資金の内訳と、資金運用の内訳が記載
  2. 損益計算書(PL):企業の期間内の売上や営業利益などが記載
  3. CF計算書:企業内にて収入、支出のキャッシュの動きを記載

 

というわけで、普段イメージしていた決算書は2でしたが、本当は3つもあるんですね・・・。

 

ただこれ、どうなっていれば、優良企業かという判断はこの三表だけでは難しいです。

なぜなら、上場会社は株主から投資を受けて、会社を成長させないといけないからです。そのためには、株主が期待するよりも、高い利回りで会社を成長させていく必要があります。

 

特に株主が求める利回りを株主資本コストといいます。

どう計算するかというと、「CAPM」というものを使います。

詳細は省きますが、簡単に言うと株式市場において、市場全体と比べた時にどのくらいの変動が期待されているか、が重要になってきます。それをもとに、国債の利回りを基準として算出することができます。

 

私の会社のCAPMは8.5%でした。これは株主からは年8.5%の成長を期待されているということで、それを下回ると当然株が売られて株価が下がるわけです。

 

もう一つ重要なのがROIC(投下資本利益率)です。

これは会社が投下した資本に対して、どれくらいの利益をあげれたのかを表す指標です。

ROIC= (営業利益ーみなし法人税) / 投下資本

 

なぜ営業利益をつかうかというと、営業利益がその会社の本業で儲けることのできた利益を表しているからです。

私の会社のROICは2%でした。

 

ここまでで、「ふーん、それでどうしたの?」と思ったあなた

間違いなくファイナンスを勉強したほうが良いです。

 

前述したとおり、ROICは会社の成長幅です。それが2%。

これが多いか少ないかはともかく、株主からは8.5%の成長を求められています。

ということは、、、このままいくと企業の価値がどんどん下がっていく状態になるということです。

企業価値は以下の計算式で求めることが出来ます。

 

 EVA=投下資本 * (ROIC-WACC)

 ※WACCは負債コストと株主資本コストの加重平均によって求めますが、今回は負債コスト0だったため、株主資本コストのみで記載

 

ざっくりいうと、年回りー6%の企業価値下落です。

実際に決算報告により、私の会社は株価が急落しました。

 

ではもし、あなたが経営者だったときどうすればいいのかというと

それはもうROICを上げるか、WACCを下げるかしかないわけです。

 

つまり営業利益をもっとあげるか、WACCを下げる(株価が変動しない堅実な会社経営を行う)ということです。

経営者が注目するのは、やはり営業利益をあげること。

そのためには、固定費や販管費を削減しないといけない。

つまり給料が上がらない(←ここ重要)

 

一応言っておくと、うちの会社は競合と比べて人件費が高いわけではないです。

つまり、稼ぐ力が圧倒的に足りていない。

そのうえ、市場として人材の流動性が非常に高いため、できる人がより良い環境を求めて、移っていくなんてことがざらにあるわけです。

 

そうすると、会社としては

最低限できる人を雇って、安い給料で使おう

大丈夫、人が不足したら雇えばいいんだよ!

となるわけです。

 

ただそんな状態で、営業利益が順調に伸びていくわけがない。

会社としては、馬鹿をやとってたくさん働かせるような構造にしているのではないか

なんて疑ってしまいます。

 

さて、使い捨てられる前にどう転職しようかなと考えています。

 

 

ざっくり分かるファイナンス?経営センスを磨くための財務? (光文社新書)

ざっくり分かるファイナンス?経営センスを磨くための財務? (光文社新書)

 

 

昔好きだったこと

昔々、小学生時代のころ、人見知りだったぼくには友達が少なくて

いつも漫画を読んでたり、本を読んでたりしていた。

好きなのはファンタジーや冒険ものだった。

 

荒れ狂う大波や火を噴くドラゴン、果てしもない悪と戦う姿に興奮して、夜も眠れなくなった。

家の中ではあまり楽しいと感じることはなくて、いっつも漫画や本の続きを妄想していた。(家庭の事情で僕は、親が仕事から帰ってくる時間までしかそういったことを楽しめなかった)

そんな小学生1~2年生の時一番、やっていた家の中での遊びが妄想だった。

 

目をぎゅっと閉じて、枕に思いっきり顔をうずめる。

そうすると真っ暗にみえて、目が慣れると不思議な光が見えてくる。それは満天の星空のようであり、満開の花火のような光だった。一つ一つが確かな輝きをもっていて

そこに僕全体がゆっくりと近づいていく。

ゆっくりゆっくり近づいていくんだけれど、星たちに近くなればなるほど、近づいていくスピードは速くなって、ワープするように星たちが流れ出す。

そうするとまた暗闇になって、奥のほうから星たちがまた近づいてくる。

そのたびに星たちは色が変わっていたりスピードが違っていたりして、僕はその違いを楽しんだ。

できるだけきれいな星を探して、できるだけ時間を止めて、眺め続けた。

たまにもやもやする気持ち悪いゾーンに入ってしまった。そこでは平衡感覚がなくて、ゆっくりと昇華されていくような灰色の世界だった。

 

10分くらいしかたっていないと思っていた時間が気づいたら、2時間くらいたっていることがあって、驚かされた。

 

星たちと一緒に僕も時間を飛び越えたんじゃないかと思ってワクワクした。

子供の時に読んだたくさんの漫画、本たち。。。。

 

今読んでもそこまでどきどきはしないけれど、でもあの感情を忘れはしない。

 

年を重ね気づいたら、目をつぶっても瞼の裏の星たちは見えなくなってしまった。

あれはなんだったんだろうか。

子供だけが見えるものなのだろうか。幻想ではない。

じゃあなんだろう。幻想だろうか、それとも夢か。

 

大人になって働いて、やれることは増えて自由になったけれど、それと同時に自由に垣根をつくった。自由の外側に不自由をつくった。

僕が今いる場所は、自らが作った自由な場所で、針をめぐらした牧場のようだ。傷つかぬよう、生きていけるよう必死に周りと区別をつける。生きていく範囲を決める。

でもふと、遠い場所に子供の僕を見る。

子供の僕がいた場所はきっと、垣根の外で、毎日不便に生きていく世界だった。

でもそこはなんの境界もない、宇宙すらも超越できると感じさせる世界だ。

 

子供の僕にとって宇宙は手のひらサイズだった。

今の僕にとってはどうなんだろう。

信号を渡った先の公園ですら、手に余る。そんな感じさえする。

昔どこかで読んだ文章

昔、自分が大学生のころ、僕は何かよくわからないけれど焦っていた。

日々何かをしなければいけない気がして、でも何もしないまま終わっていく。

 

日々の時間を無駄にしている気がしていた。(いまもそうだけど)

 

そんな時Facebookで一つの文章が流れてきた。

久しぶりに探して見つからなかったからリマインドとして書いとこう。

 

現代人は時間に追われすぎだと思う。

確かに仕事や勉強で日々のタスクはいっぱいだし、気が付いたら一日が終わってしまうようなこともあるだろう。

でもふとした時間の空いたとき、例えば休日なんかもつい、予定を入れないといけない、何かしていないと落ち着かないなんていう人もいる。

目標に向かって努力することはもちろん大事だ。

でも常に走り続けることは難しい。どんな完璧な機械もメンテナンスが必要なように。

 

だから何も予定がないなんて時は、何も考えず車を走らせて

途中のお店でサンドイッチとコーヒー、ワインなんて買って海辺にいこう。

そしてただ何もせず座っているんだ。

そうしたら日々のくだらないことが思い浮かんできては消えて、そのうち

昔の楽しかった思い出や懐かしい場所を思い出す。

日々の忙しさに消されていた、大切な思い出を取り戻す。そのままぼーっとしていよう。

そうして自分と対話をして、自分を取り戻す。

 

 

何もやることない日は、無駄に焦ってしまう。

たぶん、本当にやりたいことはあるんだけれども、それが実行されていない。

空想レベルでとどまってるのだろうか。

 

もし焦ってしまうのならば、一度冷静になって自分と向き合ってみるのもありなんだよなーって記憶。

 

【インプットとアウトプット】について

 

社会人になって1カ月近くがたった。

 

今はずっと研修をしており、座学ばかりである。

大学の授業とそんな変わらないのだけど、仕事の成果に直結するのでそんなに手を抜いてもいられない。

ただ一つ気になるのが、毎日業務終りに日報を書くという点である。

毎日の業務内容や気付いたこと、スケジュールを書いていくのだけれど、

これが結構添削される。

ざわPはまじめな気質だったので、小学校時代から大学に至るまでノートへの板書を欠かさなかったのだけれど、同じ様に日報を書くと結構突っ込まれる。

 

 

 

大学生の時漠然と思ってたのだけれど、どうもざわPのノートは、微妙な感じだ。

具体的に言うとテストのとき見返しても、そこまで有用でないのだ。

 

実際、数式や定義の羅列、演習問題の解法などが中心に書いてあり、ノート中心に復習をすると暗記ゲーになってしまう。

だからテスト前は、結局図書館で参考書を借りたり、教科書を一から見直したりして勉強することになる。ノートを見返すのはテスト範囲の比重を確認するくらいになってしまう。

 

同じ内容を記録しているのに、人によって見返した時のわかりやすさが全然違う。

どうしてだろうと思って、いろいろググったりしてみた結果、

これはどうも

・インプットとアウトプット

・経験と形式知

が大きくかかわっている。

 

まずインプットとアウトプットについて

大きく分けて物事はインプットとアウトプットに分けられる。

 

ざっくり言うと、

自分に入ってくるもの(新しい知識だったり経験、情報など)がインプットで

自分が出すもの(仕事、テスト、部活動)などがアウトプットだ。

 

もっというと1つの授業の中でも、新しい定理や知識はインプットだし、演習問題はアウトプットである。

 

ここで大事なのはインプットとアウトプットは別々に切り離せるものではなく、二つで1つだということ。

そもそもインプットするのはアウトプットするためである。

 

授業で板書するのも、テストでいい結果を出すため、研究で使うため

会社で座学を行うのも、仕事で成果を出すために必要だからである。

 

だから本来は、インプットする段階からアウトプットを意識しておかないといけない。

教わった内容について、どのような状況で用いるものなのか考えないといけない。

 

思えば普段使っていた教科書も、新しい知識の後には必ずと言っていいほど演習問題が付いていた。

あれは今思えば製作者の優しさで、

「新しい知識出てきたけど、実際どう使うのか教えてやるよ」

ということを言ってたわけである。

 

だから新しい学びを得た時には、必ずそれが

「どうやって使うものなのか」「どのような状況で使うものなのか」

っていうのを記録しておかないといけない。

 

だからノートでいえば単元ごとにページを分けてしまい

上半分にインプット、下半分にアウトプットくらいで書いとけばわかりやすい。

 

長くなったので形式知と経験についてはまた今度。

 

まとめ

・学びはインプットとアウトプットの2段階で1セットである。

・趣味以外ではとくにアウトプットを意識したインプットが必要になる。

・とりあえずアウトプットでブログを書いてみた。

 

以上